最上位か最下位にいるとヒエラルキーを気にしなくなるか

 たとえば収入によるヒエラルキーは日本人ならほとんどの人が意識していると思う。自分の友達や兄弟、親類と比べて、自分の収入が(どの程度)多いか少ないかというのは、いやでも意識してしまうものだ。しかし自分がビル・ゲイツ並みの富豪になったと仮定してみるとどうだろうか。ゲイツ君は、年収200万円の人と、400万円の人を見て、それほど差があると感じるだろうか? たぶん感じないと思う。でも、年収200万円の人は、年収400万円の人を見たら羨ましいと思うだろう。
 もうひとつ例をあげると、東京大学法学部を出た人が、滋賀大学鳥取大学の学歴社会における地位の差を意識するだろうか? 「いや別にどっちが上でもええんちゃうん」という気持ちになると思う。しかし滋賀大学を出た人にとっては近くの県の大学との差はすごく重要なのかもしれない。
 逆に、内戦地域で飢えている人は、晩飯が政治家御用達の料亭の懐石だろうが、吉野家の牛丼だろうが、食べられれば気にしないだろう。たまにしか酒を飲めることがない人は「毎週のホテルのバー通い」でも「毎週の白木屋通い」でも同じくらい羨ましいのではないか。
 変に「上の中」〜「下の中」くらいの位置にいると、ヒエラルキー内での自分の位置とか、他人の位置を気にしてしまうのではないかと思う。

「これだけでOK!」という学習法が一番あぶない

 はてなブックマークで上位に来ていた「英語学習法」的なものを適当に見ていて、いろいろと気づくものがあった。ひとつは、人気のある学習法のほとんどは、「今まで主流であった辛く厳しい学習法を否定して楽しく手軽な学習法を薦める」ものであって、英語を学習する上で有効なシラバスになるようなものはまずないことだ。
 思い出してみると、「わかりやすい」と評判の塾の先生はたいてい「これだけ!ここを抑えれば解けます!」というような言い方をよくしていた。まず70%くらいの問題に当てはまる解放を教えて、残り30%の「例外」への対処法は時間が余ったらやる程度。決して「例外」への対処法を暗記することは推奨しない。「覚えないといけない」と言うと、生徒は「あの先生、わかりにくい」「むずかしい」と感じるからだ。わざわざ自分の評価を下げるような教え方をする先生はいない。塾では、ふつう、塾講師の「成績」は、「どれだけ生徒の成績を上げたか」ではなく、「どれだけ生徒対象のアンケートで『わかりやすい』という評価をもらえたか」で決まるのだ。
 さすがに、中学生でもあるまいし、いい大人が「楽で手軽な学習法」をガンガンブックマークしてるってどうなの、と思う。確かにとっつきやすいかもしれないけど、それ、見た目よくするために大切な部分を省きまくってますよ? 「実は○○はやらなくていい」と、言語学者でも予備校関係者でもない素人に言われて、あっさり切り捨てられる人には違和感を感じるのです。

好きなものと嫌いなものが結びつく瞬間

 私はパチンコが嫌いだ。それも具体的にパチンコ業の中のある要素が嫌いなのではなく、漠然と「ハヤシライスが嫌い」の「嫌い」に近いレベルで嫌いだ。
 私は「新世紀エヴァンゲリオン」やら「天外魔境」やらが好きだ。これも具体的にアニメがどう、ゲームがどうというのではなく、全体の世界観がなんとなく好きだ。
 で、最近、エヴァンゲリオン天外魔境のパチンコのCMをよく見る。テレビを付けた日は必ずどこかで見る。これが面白くない。初めてCMを見た、その一瞬は「おおっ」とワクワクするのだが、最後にパチンコのCMだということがわかると白けてしまう。最近では、放送してしばらく経ったアニメのCMが流れると、「ああパチンコだな」と予感するようになってしまった。
 パチンコというのは本当に無限大なジャンルで、ヨン様ファンのオバサマは「CR冬のソナタ」で、オジサマはアグネスとかその辺り*1で、オタクは「CRエヴァンゲリオン」で釣り上げることができる。いくらでも他の領域から客を引っ張ってこれるのだ。何とでもコラボできるのは強い。
 ただ、私はパチンコが嫌いなので、テレビをつけると必ず流れるCMにうんざりしている。好きなものと嫌いなものが結びつくことはやはり精神に悪い。好きなものへの感情が薄れてしまうような気がする。

*1:昔のアイドルを全然知らない…アグネスってアイドルですよね?

ハリー・ポッターが終わってしまった今だから、JKローリングに言いたいこと

 いい歳してハリーポッターになったつもり…必死に頑張った二人の写真:らばQを見ていて思い出した。JKローリングに言いたいことがあったのだ。
 「ハリー・ポッターシリーズの魅力は、ハリーと闇の帝王の勢力の激しい闘いじゃあなくて、ダイアゴン横丁での買い物とか、ホグワーツでの日常生活だったんだよ!!」
 少なくとも私にとってはそうだった。ハリーの世界は完璧に作り上げられたファンタジーであって、しかも日本人にとっては一種の「修学旅行的魅力」をともなう、イギリス式学校寮生活の中で起こるドラマである。どうしてジャパンの学校はこんなにクソッタレなんだ!あーホグワーツに行きてー!!という思いを抱えながら読んでいる子どもたちが圧倒的に多いはずである。中学生ぐらいからは現実逃避も入ってくるが。

いまどきニコニコ動画ぐらい見ないと友達ができない

 塾講師や家庭教師として中高生を見ていると、ニコニコ動画を話題にしている子が多いのに気がつく。そういえば、去年あたりから、自分の周りでもニコニコ動画を話題にする友達も増えた気がする。
 もしかして、今どきの中高生は、ニコニコ動画を見ていないと友達ができないのかも。会話に入れないし。ちょうど入学シーズンなのでそんなことを考えた。新しいクラスで、ニコニコ動画をきっかけとして、それまで知らなかった人たちとワイワイ喋ることもあるだろう。そこでニコニコ動画を知らなければ、話しの輪に入れず、出遅れてしまう。「暗いやつ」「流行に疎い」みたいなイメージがつくかもしれない。
 もうだいぶ昔になるが、ポケモンが大流行したとき、小学生の間ではポケモンを持っていないと友達ができないことが社会問題になった。それと似たようなものなのかもしれない。
 学校で昨日のテレビの話をするのが習慣だと、一度見忘れると丸一日話に入れなくなる。だから毎日漏らすことなくテレビを見続けなければならない生徒は多いはずだ。これと同じで、毎日、ニコ動の人気の動画は一通り見ないと、学校で会話についていけないのだろうな、と思った。びみょ〜な繋がり(なんとなく時間をつぶすためにだべってる)のヲタグループなんかだと、その傾向はさらに強いだろう(話題が多彩なグループは幸せだと思う)。
 「2ちゃんねる」なんかは、ある程度「過去ログ」を見て、文脈や用語、傾向を掴まないと楽しめないけど*1ニコニコ動画もある程度継続的に追いかけてないと流行のネタが理解できなかったりするので(元ネタ探して見るしかない)、「ネタ」の仕入れも、けっこう重労働そう。

参考にした記事

 ニコ動の魅力は、うp主の「親近感」にあるんじゃなかろうか - 世界のはて←「親近感」は確かに重要な要素。その「親近感」が「内輪ネタ」というか「ニコニコが俺らの文化なんや!大人や教師にはわからんのや!」に繋がっていった結果、ニコニコネタが中高生の話題の中で大きな割合を占めてるのかも。

*1:はてな」とかもそう。あとmixiとか… ネット上のサービスは案外こんなものが多いのかな。「閉鎖的」と言い切るとちょっと違う気もするけど。「内輪ネタ」が近い?

10万50年生きてみると

  • 生きているもんだという驚愕感がある。
  • 我輩は10万歳まで生きられないなと思っていた。ティーンエージ(地獄では1000〜2000歳)で自殺してもなんら不思議でもなかった(ゼウスに封印されていたからできるはずもなかったが)。ただ、10万50歳まで生きて見ると、そうでもない、いわく言い難いものが我輩を守っていたとしか思えないものがあると思うようになった。悪魔なので、スピリチュアルになってしまうのもどうかと思うけど、今どれほど生きづらい人でも今気がつかない大きな力のようなものをいつか感じる可能性はあると思う。
  • 無謀な人生というのは、意外とテンプレで、飲む・とる・作る、つまり生き血、相撲、蝋人形。それと加えるならメイクの過剰。
  • 霧の立ちこむ森の奥深くも酒と同じ。(迷い込むのを)免れた人生はそれだけでラッキー。
  • 2000年くらいの時間は大した時間ではないなと思うようになる。これは愕然とそう思う。志のある悪魔は4000歳までは世を忍ぶ仮の姿で迷っていてもいいのだろうと思う。
  • 10万歳まで生きられなかった悪魔に、奇妙な罪責感と優越感ではないが、偶然に我輩は生きているな、恵まれているなとは思うようになるし、うまく言えないのだが、優越感とは逆に、彼らのほうが人生の完結度を示していて、呆然とするものがある。貴乃花全取り組み集を見るとよいよ。


        50年生きてみると - finalventの日記

カーネギー的・大学生活序盤攻略法

暇人\(^o^)/速報 (旧) 大学生活を楽しめるかどうかは入学して最初の1、2ヶ月で決まる

ちやほやされるのも4月のサークルなどの新歓時期だけ
それ逃したらマジ地獄
学部の友達も早く作らないと
いつの間にかグループが出来て仲間外れ
4年間ぼっち生活確定

暇人\(^o^)/速報 (旧) 大学生活を楽しめるかどうかは入学して最初の1、2ヶ月で決まる

 どうも入学シーズンになると、毎年、新生活に不安を感じるスレが立つみたいですが、私が入学したときは、次のことを意識していました*1

  • あなたが明日会う人々の四分の三は、「自分と同じ意見の者はいないか」と必死になって探している。この望みをかなえてやるのが、人に好かれる秘訣である。 デール・カーネギー

 この言葉がホントかウソかはわかりませんけど、

  • あなたが明日会う人々の四分の三は、「自分と友達になってくれる人はいないか」と必死になって探している。この望みをかなえてやるのが、大学生活の序盤を攻略する秘訣である。(うるち随筆)

 これはホントです。少なくとも大学入学直後は。「大学は4月に友達を作らないと後は…」という噂は、「4月でないと友達ができない」ということを意味しているのではありません。「みんな孤独な4月は異常に友達を作りやすい」ということを意味しているのです。むしろプラスイメージです。
 また、この四分の三という数字が絶妙で、いわゆる進学校の卒業生が多く合格する大学だと、大体学部学科の四分の一くらいはすでに高校のときからの友達グループだったりするんです。中には「小学生時代の塾仲間→中高一貫の私立校→現役で同じ大学」みたいな超オサナナジミ仲良しグループも存在します。内部進学がある大学はいうまでもありません、入学直後でみんな緊張&よそよそしい中で、入学式や新歓、オリエンのとき、朝からいきなり徒党を組んで喋ってたりするグループがいますが、彼らは絶対このパターンなのでビビらないでください。
 私も大学入学直後に声をかけた友達とはいまでも一番親しい友達の一人です。あと、別に序盤が過ぎてもサークルに入れば普通に友達ができるので大丈夫です。裏技はスキー・スノボサークルで、これはメインシーズンが冬なので、秋・冬に入っても十分間に合います*2
 友達が多いことは大学生活に必須の条件ではありませんが、友達が居ないことはノートなどの実害を抜きにしても思わぬ悲劇を招きます。新入生、グッドラック。

*1:言い忘れましたが、合格おめでとうございます!

*2:あまり関係ありませんがスキー・スノボの指導員資格は面接でけっこう面接官の食いつきがいいです。比較するとスキーのほうが格段にいいですが