自分探しの旅は今すぐやめなさい

 長かった学生たちの夏休みもようやく終わろうとしている。いや正確にはもう終わっているのだが、自主的に引き伸ばすMENがあまりに多いので、今までずるずると学内に夏休みムードが漂い続けているのである。
 さて、近頃「自分探しの旅」なるものに出かけていたヒマでイノセントな友人・知人たちが1人また1人と帰ってきている。彼らは「さあ俺の帰還祝いをやれ」と言わんばかりに嬉々としてメールで帰国を知らせてくる。当然自分はタダ飯か割り勘による得な飯が喰えそうな場合は(あんまり知らない奴の帰国祝いにも)即刻馳せ参じるのだが、毎度毎度「自分探しの旅」によって如何に彼らの人生観が変わったかを聞かされるのには閉口する。
 「日本は恵まれてる。マレーシアではどうたらこうたら」
 「確かに先進国は便利だけど、みんな何かに追われている。タイのスローライフはどうたらこうたら。一般Peopleの間に深い信仰心があるし、どうたらこうたら。途上国の人は日本人より心は豊かである」
 「ごにょごにょな今の生き方をやめて北欧にのんびり移住したい」
 彼らは見事に旅行先の思想にかぶれて帰ってくる。これでは旅行によって自分の世界を広げるどころか、単に向こうの思想に浸かって自らがマレーシアあるいはタイあるいは北欧の人と化しただけである。もしくはそのような国の人を浅い考えで羨み、そして彼らの生活を無条件崇拝しているにすぎぬ。違う価値観に出会ったときにすぐそれに乗り換えるのは愚の骨頂である。自分の価値観と照らし合わせてみて両者を俯瞰し比較検討してこそ自分の世界が広がり、「自分とは何か」の答えを探し出せるというものだ。
 だいたい、最初から自分の意識をこういう風に変えてもらおうと期待して行く旅で期待通りの光景を見て期待通りの人と出会い期待通りに感化されたところで何が得られるというのか。彼らは「えーっと、タイで貧しい人たちに会って、ショックを受けて、それでアタシはカルチュア・ショックを受けて今の生活を見直しますぅー、みたいな」という計画を最初から立てているのだ。なにがショックだ。タイの市井の人々にいますぐ謝れ。
 本当の自分探しの旅というのは何が起こるかわからない状況に自分を放り込み、そこで起こる化学変化を愉しみそこから何かを得るものである。昼はストリートチルドレンを見て嘆き夜はタイ式マッサージでお肌ツルツルのツアーでは一生自分は探せぬ。
 しかし自分探しの旅に出るものが減ると宴会も減るのでほどほどに意味の無い旅行も行くべきだとは思う。