筒井康隆の憂鬱

朝日新聞に「ライトノベル学校で必要か」という投書が掲載される。
 あっ。なんということだ。これではまるでかつてのSF排斥運動、筒井康隆排斥運動と同じではないか。くそ。あのころはやれSFは悪書だの文学ではないだの読んでも役に立たないだの学校におく必要はないどころか悪影響を及ぼすので置くことを禁ずるだのと言われたものだ。文学のいろはもわからぬ有象無象どもがよってたかっておれのSF、いやすべてのSFを否定しやがったのだ。あいつらはディッケンズどころか源氏物語ですら読んでいないからたちがわるい。ではあなたの考える名作文学はと聞くと「こころ」「坊っちゃん」より先を並べられぬような馬鹿どもである。ああああ忌々しい。はっ。これではおれが先日上梓したビアンカ・オーバースタディラノベであるがゆえに排斥を免れ得ないのではないか。それどころか全国の書店で購入されぬに違いない。ラノベ反対の投書がラノベのメイン読者層の男子から出るとなればこれはもうラノベ界の終わりである。なんということだ。印税消えた印税消えた屋根までのぼってはじけて消えたもうだめだこの邸宅もいつまで維持できるかわからぬやはりラノベに活動の場を移したのは失敗であったかああおれはばかだ大ばか者だ金がなくなるマドンナに会えぬもう会えぬ苦しいいやマドンナは20年前に死んだしかしおれは金がぐぬぬ。ぐぬ。いや落ち着け落ち着け落ち着くのだ。論理的反駁。そうだそうだここで狂ってしまってはラノベ否定論者と同じレベルに堕ちることとなる。それは困る。よし論理的反駁だ。しかしどうやって。くそ意外と難しい。おれは困る。困って、困った結果、おれはとりあえずおれのようなしがない物書きは黙って売れるラノベを書き続ければいいのではという結論に達した。そうだ。どうせ売り上げさえ伸びていれば無視できまい。他の幾多のジャンルのように20年経てばきれいさっぱりなくなっているかそれともまだ売れていて文学のジャンルとして認められるかのどちらかである。時間の経過のみがラノベを文学に昇華させるのだ。よしそうと決まったら執筆である。この次はできるだけスペルマの飛び散らぬ作品を書くように担当から仰せつかったがスペルマを抜きにしてはおれのラノベはできぬ。まあいいまずスペルマを出してからとりかかろう。そういうわけで右手はペンを置きかわりになにがしかを握るのである。