彼は自分の設定した狭い世界の中でだけ真面目であって、世界の外のものからは目を背けているのでは?

真面目に生きてるのがバカらしいを読んで*1
 この記事のブクマも、こっちの記事もそうだけど、驚くほど「要領よく生きろ」っていう意見が多い。少数派ながら「真面目に生きることは清いことです」という意見もある。どちらも正しいと思う。しかし、この記事の重要な部分が指摘されずにスルーされている。

それでも大半は持っていかれた。
勝手に消費者金融の保証人にもされてたし、病気のせいで就職先目途つかない。
(中略)
病気や保証人(現在はその親の介護してます)は運とかもあるし、
(自称)真面目に生きてきたとかルール守ったからとか努力したからっつって結果に結びつく訳じゃないのも、理解してるつもり。
(強調は僕が行ないました)

 確かに病気は運もある。しかし、勝手に保証人にされてしまうことは「運」か? この考え方だと、また保証人にされかねない。苦い経験から目を背け、経験から学ぶことを拒否してしまっている。ちょっと危ないですよね。この部分に違和感を感じないというか、突っ込まれていないのがちょっと不思議だった。
 ここから僕の「真面目」観を少し。真面目に生きること、これは良いことです。どうもネットでは、そもそも真面目とは、いや善とは何か?という問いから始めたい人が多い。しかし、まずは真面目に生きたい、善を追求したいという気持ちが先に立つことが重要だと思います。日々迷いながらも追求していけばいい。
 でも、真面目/善とは何か迷っていない人がいます。この人は、危険です。迷わずに、自分で真面目/善を定義してしまって、盲目的に生きてしまう。自分を客観的に見れない*2
 この記事のように、真面目に生きることを誇りとすることは正しい。でも、それは安易に「自分の基準では真面目じゃない人」への差別、嫌悪につながり、さらには攻撃につながります*3
 結局、完璧に真面目に生きようと思ったら、自分の世界/価値観を狭く限定して、その狭い世界の中でだけ完璧に生きるしかないのです。完璧に真面目には生きられないことをまず知って、そこから悩んで、悩みながら生きるべきです。自分の世界を広げ、視野を広げて、客観的に自分を見るということ。なかなか難しいけど、できたら実践したいです。
 どうも、ネットでは字数が限られているので、極論を多く見かけるということがあって、こういうあたりまえのことを言ってしまいました。河合隼雄さんあたりの本には、もっとわかりやすくこういったことが書いてあります。僕のは河合さんその他数百人のご本からのパクりです。

*1:この記事がここまで人気なのは、やっぱりネットにハマる人には、リアルで地味ながらも真面目に生きてきたつもりなのに、美味しい汁を吸ってるチャラい奴らに負けた気がして悔しい思いをしてきた人が多いから?

*2:この「俺が正しい!」という盲目的判断が、宗教対立とかの原因の一つでもある

*3:たとえば、女は勉強せず早めに結婚して子供を産んで夫には逆らわず老いては子に従え…ということを言う人も、その人にとってはそれが「真面目」なわけです