僕は、エリート大好き

森林太朗を忘れ森鴎外を忘れないこの国には、反知性主義もないがエリートも存在しがたいのだ。

そして、なぜエリートを敬う伝統が生じなかったか。

エリートとなりうる人々に、人々が無礼をもって答えてきたからではないのか。

404 Blog Not Found:エリートは日本(語)を救うか?

 これは僕もよく思う。無礼という表現が当てはまるのかどうかわからないけど、エリートの小飼弾さんが言うならかなり正しいんだろう。
 日本では、何かが成功したとき、その成功がひとりのエリートの功績じゃなく集団の功績になるからね。アメリカだと、古いところではロックフェラー、カーネギー、新しいところではスティーブ・ジョブスとか、割とすらすらとカリスマ的なエリートの名前が出てくるでしょ。でも日本だと、トヨタ、ホンダと、企業の名前のほうが出てきて、中心的人物はほとんど知られてない。アメリカは個人のカリスマで引っ張って&宣伝して、日本は企業のブランドイメージで引っ張る&宣伝するという文化なんですな。アップル作ったのはスティーブさんだけど、カローラや新幹線を作ったのは名もなき技術者さん、という。
 しかし、一般的には「エリート」という言葉は「高学歴」「高収入知的労働者」「サラブレッド」みたいな意味で使われてるから、そもそもこの小飼弾さんの文章もエリートに敬意を払ってない人には届きにくいかもしれない。「エリート」が「エリートを敬ってねえなこの国は」と言っても厳しいものがあるっすね。いっそ、江原とか三輪とか銀座の母あたりが「もっとエリートを敬いなさい」って言えばいいんじゃないんですかね。