頭がいい子は妬まれ排除されて当然の存在である

 幸せになるための哲学を「09年度、最もムカツク文章」から学ぶ - うるち随筆でも触れた、id:pollyannaさんのhttp://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1絡みで「頭のいい子」が周りからスポイルされるという話。そろそろはてな恒例?の無限ループに入ろうかとしているこの話題をあえて取り上げる。
 まず、頭がいい生徒がいると、ほかの生徒に妬まれて、ネガティブな行為・視線が発生すること自体は当たり前なんじゃないかな。スポーツが得意な生徒と比較して頭のいい生徒はどうこう、という話じゃない。頭がいいヤツというのは、大衆から見て、「大衆が持たない情報を持ち、大衆が手にできない程の金を稼ぎ、大衆より評価され、大衆からは見えないところで既得権益でエンジョイ☆している」存在なんだろう。
 野球選手は、大衆から見える。彼らは、ピッチャーの投げたボールを打ってスタンドまで飛ばせば金がもらえる。打たれたピッチャーは金がもらえない。鍛え抜かれた、大きな体で、ユニフォームを着ている。大衆、サラリーマンと彼らが違うことは一目でわかるもんだ。
 しかし、官僚、政治家は見えない。彼らが毎晩、どこのバーでどんな高級な酒を飲んでいるのか、一晩十万円を超える料亭の味とはどんなものなのか。ふだん何をして働いているのか、おそらくクソ高い給料に見合うだけ働いているのか。どのような繋がりで、誰から、どんな金が、いくら廻ってくるのか。それは大衆が納めた税金なのか。すべて、大衆は想像するしかないし、いや想像するための知識すらないんだし、嫉妬とフラストレーションがたまっていっちゃう。
 そんな、大衆から「見えない」、「頭のいいヤツ」に、今まさになろうとしているのが――「頭のいい子」だと思う。小学生、あるいは中学生の彼も、10年後には「いい大学」に入り、「いい就職」をして、大衆には得られない快楽を得ることが約束されているんだから。彼に嫉妬しないヤツなんかそういない*1
 ここまで、頭がいい子は妬まれ排除されて当然の存在だということを確認してきた。こう言うと、誤解を招くかもしれないんだけど、自分は*2「だから頭のいい子は排除しろ」と言っているわけじゃなく、そういった風潮に反対してる。でも、現実としてとりあえずこの風潮はあると思えるってこと。大人、親、教師がそう思ってたら、子ども、生徒にも伝わるよ。この風潮を失くすためには、

1.自分より高い能力を持っている人に対しては、素直にその能力を認める

 (ただし扱いは他の人と同じにする)

2.その能力を認めていることをその人に伝える

3.その能力を活用するにはどうすればいいか(その人は何ができるか)を一緒に考える

勉強ができる子がいじめられる理由 - 弁護士兼務取締役の独り言

 こういう当然の教育を、次の世代にしていくことが重要なんじゃないかな。僕のブログは結局最後は「教育」で終わることが多いんだけど(このブログは実はブレア元首相が書いてます)、今の教師と、教育システムって、「一人が百歩進むより、クラスのみんなが一歩ずつ進めることのほうが大切」みたいな空気がある気がする。これを「みんなまず自分が一歩進もう、その一歩の間に百歩進むヤツもいるし、自分が休憩してる間も距離を稼ぐヤツもいるけど、そいつらは素直に尊敬してやろう、そいつらが道を切り開いてくれるかもしれない」的な空気に変えると、日本も変わってくるんでないかな。このブログを書いてる自分自身、自分の子どもに卑屈な考えは教えたくないし、見せたくないから*3。まぁ、妄想と嫉妬は人間の本性みたいなもんだし、卑屈とも言い切れないのかもしれないけどね。絶対に自分自身にもあるし。

*1:自分が「頭がいい」と思ってる生徒が多数派の学校に入ると、全然違う世界があるんだけどね…彼ら自身、公立小・中で妬まれてきたからってのもあるだろうけど

*2:ここで、多くのブロガーや、ブックマーカー、コメントする人たちは、「自分も頭がいいので妬まれ排除されたが…」という枕詞をつけてしまうみたいだけど、それは自分で言うことじゃないんじゃね? ちなみに、id:pollyannaさんは他人から直接「頭がいい子」と呼ばれていたらしいし、彼女の自己評価は「頭がいい」ではなく「勉強ができる」だからね

*3:こういうことを書いていて思い出したが、自分がクソ難しい大学を受けた理由のひとつに、中学校のときの教師のような、学歴に過剰反応する人間になりたくなかった、ってのもあった。学歴コンプレックスから逃れる方法は、当時の自分にとって、何を言われてもコンプを感じることがない大学に入ることだった