最上位か最下位にいるとヒエラルキーを気にしなくなるか

 たとえば収入によるヒエラルキーは日本人ならほとんどの人が意識していると思う。自分の友達や兄弟、親類と比べて、自分の収入が(どの程度)多いか少ないかというのは、いやでも意識してしまうものだ。しかし自分がビル・ゲイツ並みの富豪になったと仮定してみるとどうだろうか。ゲイツ君は、年収200万円の人と、400万円の人を見て、それほど差があると感じるだろうか? たぶん感じないと思う。でも、年収200万円の人は、年収400万円の人を見たら羨ましいと思うだろう。
 もうひとつ例をあげると、東京大学法学部を出た人が、滋賀大学鳥取大学の学歴社会における地位の差を意識するだろうか? 「いや別にどっちが上でもええんちゃうん」という気持ちになると思う。しかし滋賀大学を出た人にとっては近くの県の大学との差はすごく重要なのかもしれない。
 逆に、内戦地域で飢えている人は、晩飯が政治家御用達の料亭の懐石だろうが、吉野家の牛丼だろうが、食べられれば気にしないだろう。たまにしか酒を飲めることがない人は「毎週のホテルのバー通い」でも「毎週の白木屋通い」でも同じくらい羨ましいのではないか。
 変に「上の中」〜「下の中」くらいの位置にいると、ヒエラルキー内での自分の位置とか、他人の位置を気にしてしまうのではないかと思う。