ノーベル賞と日本人の国籍の感覚と世界のナベアツ

ノーベル物理学賞、素粒子研究の日本人3氏に - 朝日新聞
なぜ「大してうれしくない」か
彼が日本人なら,そこの彼はなに人なんだ?
たまたま日本で生まれた人々がノーベル物理学賞を受賞
 南部先生、小林先生、益川先生がノーベル物理学賞を受賞されたそうで、まずはおめでとうございます。で、当然その研究内容は僕のような庶民にはわからない。そこで物理専攻の友人に電話して、「結局これ何が凄いねん」と聞いたら「深く理解はできてない。まあ、どうせみんな知ったかぶりや」とありがたいコメントを頂いたので理解することは断念した。
 で、どこの新聞も「日本人三人」が受賞、と書きたてている。今朝読んだ読売新聞には、南部さんは米国籍であると明記されていたが見出しは「ノーベル物理学賞 日本人3氏」であった。どういうことだろう。
 なぜ既に米国籍を取得した人を日本人と呼ぶのか。そこには当然新聞側の経済的利益上の都合もあるだろうが、市井の人たちもあんまりそれに違和感を感じていないようだ。
 その理由はこう考えられる。すなわち、多くの日本人は、日本人が海外国籍を取得することを「海外で暮らすために取った」としか捉えられないのだ。いわゆる「市民権」と同じ感覚で考えている。なんだかんだ不平を言っても、外国籍を取得するだけの冒険心を持ち合わせている人は少ない*1。リアルな感覚として海外国籍の取得を考えられないのではないか。あの人はたまたま外国に住んでいるけれども、日本人だよね、という感覚。「帰国子女」という言葉や、留学生の殆どが日本に帰ってくることを考えると、やはりまだ日本人にとって海外とは「一時的に(なにか目的があって)行く場所」なのではないか。
 とまあこういうことを書いたけれども、日本は国際的な感覚がねぇからダメだとかそういう意味は無いです。庶民感覚では国籍ってこういう認識なんじゃないかな、という話でした。しかし、俳優や映画監督とかだとすぐに「世界の○○」って呼ぶのに、なんでノーベル賞取っても「世界の朝永」とか言ってもらえないんだろう。「世界の玲於奈」とかかっこよくね?まあ、うちのばあちゃんなんかエザキ・ダイオードを人の名前だと思うだろうし、学問分野はわかりにくいからだろうなあ。しかし川端康成なんかけっこうわかりやすくないか。ううん。謎だ。 

*1:日本が二重国籍を認めていないことが大きいだろうが